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「世界ふしぎ発見!」 マリー・アントワネットと石の心臓

「世界ふしぎ発見!」TBSテレビ
「マリー・アントワネットと石の心臓-知られざる母と子の物語」


・司会:草野 仁
・アシスタント:出水 麻衣(TBSアナ)
・回答者
黒柳徹子
壇れい
小籔千豊
大沢あかね
渡部健(アンジャッシュ)
劇団ひとり
野々村真

以下、番組で紹介されたそのまんまです。
録画したものを何度もみたので間違いはないと思いますが
なにかありましたら、ご指摘ください。

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ミステリーハンター、野々すみ花さんがレポートしました。

最初は、ヴァンドーム広場にあるパリの老舗宝石店「メレリオ・ディ・メレー」を紹介。

マリー・アントワネットの好みを調査し、ネックレスを作製。

アントワネットは、ピンクのサファイア、パールを使ったリボン、
お花のモチーフが好みだったそうです。

時価2000万円ネックレスを、すみ花さんが試着しました!!




次は、ベルサイユ宮殿へ。

ルイ16世の肖像画、鏡の間、
長女マリー・テレーズを産んだ寝室を観て回ります。

アントワネット出産時には、200名以上の見学者が、
世継ぎ出産の証人になったとか。

隠し扉の向こう側にアントワネットの宝物が出現。

オーストリア女帝の母親マリア・テレジアから贈られた
日本の漆器に金粉を貼り付けた「蒔絵(まきえ)」が、
ショーケースにたくさん飾られていました。

100人の子育ての係がいました。
乳母・医者・歯科医・教育係・洗濯係など。

揺りかごを揺らす係もいたそうで、
一般市民の4倍のお給料が支払われていたそうです。




次は、ベルサイユ宮殿の中に、マリー・アントワネットが作らせた
「アモー」へ。

子育てのための楽園で、4年の建設期間を経て、
理想的な人工の村を造らせました。

「ここにいる時だけ、私は本当の私に戻れるの」

そこで、乳搾りなど農婦のまねごとをして子育てを楽しんだ。

1785年、ルイ・シャルル誕生。

「Chou d'amour (シューダムール)=私のかわいいキャベツちゃん」
と呼んで可愛がりました。

庭園には、シャルル専用のお花畑があり、
毎日自分でつんだ花をアントワネットに届けていたそうです。



一方、国民は貧困にあおぎ、重税に苦しんでいた。
アントワネットを批判するビラなどが配られた。

「パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃありませんか」



1789年、フランス革命勃発
1792年 国王一家は、牢獄タンプル塔に幽閉。



クエスチョンです。
「トリアノンに子供たちと楽しむために作らせたものとは?」
     ・
     ・
     ・
     ・
     ・
     ・
答え:回転木馬(=メリーゴーランド)



タンプル塔は、現在「タンプル塔公園」に。
パリ歴史博物館には、革命当時のものが多数残されています。

タンプル塔は、12世紀に作られた石造りの要塞。
壁の厚さは3m、8箇所に施錠。
塔の階、8m四方の部屋で国王一家は暮らしていました。



「マリー・テレーズ回想録」(フランス国立図書館:所蔵)

幽閉時、マリーテレーズ当時13歳、シャルル、7歳。

200人以上の番兵で見張られていた。
マリー・アントワネットは、番兵から呼び捨てにされていた。



アントワネットが作曲したという「アマフィーユ(わが娘へ)
すみ花さんが、フランス語で歌いました。
さすが、元タカラジェンヌ。見事でした♪


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家族そろっての生活は、わずか5ヶ月。
1793年1月21日 ルイ16世処刑。
1年間で、反革命派、4万人が処刑。

シャルルは病気がちで、アントワネットとマリー・テレーズで看病しました。
タンプル塔の壁に、二人の子供の身長を測った跡が残っていたそうです。

革命政府は、マリー・アントワネットの元から、シャルルを引き離した。
それ以降、ふたりはシャルルと会うことは無かった。

その1ヶ月後、アントワネットは、コンシェルジュリー(監獄)へと移される。
1793年10月16日 アントワネット処刑

母の死を知らないシャルルは、タンプル塔の中庭で花を摘み、
母の部屋の前に届けたという、番兵の記録が残っている。




クエスチョン2
「ルイ16世が、子供のために作らせた教材とは?」
3択です。
1地球儀
2そろばん
3天体望遠鏡
     ・
     ・
     ・
     ・
     ・
     ・
答えは、「地球儀」でした。
ベルサイユ宮殿の皇太子の間に残っています。
ふたには、天球儀が描かれていた。

地理や理数系が得意だったという、ルイ16世。



その後の、ふたりのこどもたち。

マリー・テレーズは亡命生活の後、72歳まで生きた。

シャルルは、1793年ルイ17世に即位。
タンプル塔で1795年、病死。
マリーテレーズの手記でも、謎のまま。

共同墓地にルイ17世のお墓。
埋葬されたはずの遺体はそこになかった。

タンプル塔で死んだのは、身代わりでは?
というミステリーが残った。

ハックルベリーフィンの冒険の中にも登場するそうです。

すみ花さん、パリの歴史家を訪ねます。

ルイ17世と名乗る人物が、100人以上も現れた。
証拠がないから。

タンプル塔で死んだ少年の心臓を、
検死した医師がこっそり持ち帰った。

当時、高貴な人の遺体には、
聖なる力が宿ると言われていた。
特に心臓は、その人そのものとも思われていた。

心臓は、盗まれたり現れたりで
ヨーロッパ各国を転々としたという。

心臓の謎
ベルギーのルーヴェン大学の科学者を訪れる。

結論。
石の心臓のDNAから、
マリー・アントワネットに近いの家族の者で、
99%の確立でシャルルのものと断定された。


2004年6月8日、
歴代国王が眠るサン・ドニ大聖堂へ祀られた。



ラスト・クエスチョン
「同情したタンプル塔看守が、ルイ16世にプレゼントしたものは?」
ヒント:当時の王侯貴族のステータス
     ・
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     ・
     ・
     ・
答えは「犬」でした。
名前は「ココ」


番組で、フランス旅行、フランス製の日傘のプレゼントがありました。
番組サイトから応募できます。

http://www.tbs.co.jp/f-hakken/


ふ~、書き写すのがしんどかったです。。。
あまり入力速くないので。

前に申し上げたように、何か間違い等ありましたら、お知らせください。


今回、番組上「ベルサイユのばら」とのリンクはまるでなかったですが
それでも、マンガのあちこちのシーンを思い出しながら
観ることができたので、満足です。

サン・ドニ大聖堂へ行くことがあれば、お参りしたいです。

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